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東京高等裁判所 昭和55年(う)129号 判決 1981年5月13日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年六月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中証人二瓶譲治(ただし第七回公判期日の分を除く。)及び同布施晴次郎に支給した分並びに当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣旨は、弁護人戸張順平及び同川人博共同作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官廣畠速登作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第二(事実誤認の主張)について

論旨は、多岐にわたるが、要するに、被告人車両が本件の踏切手前の停止線を発進するときから被害車両と接触する直前まで被害車両は不可視範囲内にあり、しかも、被告人は左方及び左後方確認のための注意義務を尽したのに、これらを否定した原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認である、というのである。

一よつて、記録を調査し当審における事実取調の結果をも加えて考察すると、関係証拠によれば次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、東京都葛飾区柴又七丁目四番一一号先にあつて、西方京成電鉄高砂駅方面から東方柴又街道方面に至る通称高砂通り(以下東西道路という。)と南方京成電鉄柴又駅方面から北方金町方面に通ずる道路(以下南北道路という。)とが交わる交通整理の行なわれていない十字路交差点である。南北道路は歩車道の区別がなく(南側道路の幅員約4.35メートル・北側道路の幅員約4.70メートル)、その両側に並行して京成電鉄の線路(単線)があり、これと交差する東西道路上に通称柴又二号の踏切(東西の長さ約7.2メートル・南北の長さ約一三メートル)が存する。東西道路は歩車道の区別があり(車道は片側一車線で、一車線の幅員約三メートル・歩道幅員各約2.5メートル)、両側の歩道は車道と縁石で仕切られガードレールが設置され、自転車の通行が許されている。右踏切には歩車道の区別はない。

(二)  被告人は、昭和五三年九月二七日午前八時四〇分ころ、大型貨物自動車(熊谷一一や六号)(車長7.58メートル・車幅2.48メートル・車高2.82メートル)を運転し、東西道路を東進して、金町方面に左折進行しようとしたが、付近の交通が渋滞していたため、本件交差点の約一〇メートル手前の京成電鉄踏切直前の停止線(司法警察員作成の昭和五三年一〇月一〇日付実況見分調書添付の交通事故現場図①に運転席が来る位置。以下単に①という。同図面上の他の地点についてもこれにならう。)で約一〇秒ないし一五秒間一時停止した後、左折の合図をするのと同時に発進し、やや道路中央に寄りながら次第に加速し、①から約7.75メートル進行した②で左に転把を開始し、約4.70メートル進行した③で車体が左に向きを変え始め、さらに左折を継続して南北道路に進入した。

(三)  寺田まゆみ(当時三三歳)は足踏式自転車(女性用)の後部に長女美穂(当時六歳)と次女千絵(当時四歳)を乗せて、同自転車を操縦し、東西道路の左(北)側歩道の中央部分を東進し、そのままほぼ直進して前記踏切を通過し、同踏切を横断したあたりの〓で、おりから左折進行中の被告人車両の左側前部と接触した。そのとき被告人車両は③から約5.40メートル進行した④にあつた。寺田まゆみ運転の足踏式自転車(以下本件自転車という。)は路上に転倒し、三名とも被告人車両の左後輪で轢過され、いずれもそのころ同所で死亡した。

以上の事実を認めることができる。

二ところで、原判決は、被告人車両及び本件自転車の各進路および速度並びに両車両の衝突地点等を考慮しつつ、関係証拠を総合して衝突地点に至るまでの両車両の位置関係を次のとおり推定している。すなわち、

(一)  被告人車両は、①からゆつくり発進し、やや道路中央に寄りながら次第に加速し、②で左に転把し始めたが、このときの速度は約一〇キロメートル毎時であり、以後ほぼ同一の速度を維持したうえ、④を過ぎたあたりから約一五キロメートル毎時に加速した。本件自転車は常時約一〇キロメートル毎時であつた。

(二)  本件自転車は、被告人車両が③にあつたときには被告人車両の車体のほぼ中央部の左側付近、被告人車両が②にあつたときには被告人車両の後輪部の左側付近、被告人車両が①から発進した時点では被告人車両の車体後輪部の左側付近にあり、被告人車両との距離は約1メートルないし1.5メートルであつた。

(三)  和出兌作成の不可視範囲調査報告書等によつて認められる被告人車両の死角の範囲を基礎にして、前記のように左折進行する被告人車両の運転席左側の後写鏡によつてどの程度本件自転車を視認することができたかを検討し、被告人車両が①においては十分視認が可能であり、その後②までの間もこれが可能であつた蓋然性が大きく、③以降は不可能であつた蓋然性が大きいとしている。

三そこで、所論にかんがみ、原判決の右認定の当否を検討する。

(一)  原審で取り調べられた被告人車両及び本件自転車の速度等に関する証拠としては、被告人の原審公判廷における供述、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、証人布施晴次郎に対する原裁判所の尋問調書(以下布施証言という。)、安藤正純の検察官に対する供述調書(以下安藤調書という。)、司法警察員作成の昭和五三年九月二七日付及び同年一〇月一〇日付各実況見分調書等があるだけであり、原判決はこれらの証拠を総合検討して両車両の位置関係を前記のように認定したことが明らかであるから、右認定が所論のように独断的であるとはいえず、布施証言及び安藤調書を子細に考察しても原審の証拠評価が恣意的であるとは認められない。

(二)  所論は被告人車両と本件自転車の位置関係を推定する根拠となる両車両の速度が実験結果によつていないと非難する。

(1)  たしかに、原審で用いられた証拠はいずれも、たまたま両車両の走行状況を目撃した者の供述に依存していて、科学的な実証によるものとは言い難い。

ところで、当審において取調べた鈴鹿武作成の鑑定書、実測結果報告書及び鈴鹿武の当審公判廷における証言(以下一括して鈴鹿鑑定という。)によれば、同人は本件事故発生現場等における足踏式自転車の走行速度を実測し、これを基にしかつ原審証人布施晴次郎の「自転車はそのまま踏切に入つて行つた、速度は変らない」旨の供述をも考慮したうえ、本件自転車の速度を終始約七キロメートル毎時であつたと想定している。一方、本件衝突事故発生当時の状況を前提とした数値計算に基き衝突直前の被告人車両は本件自転車より優速であつたと認め、その速度比率は自転車一に対し被告人車両1.5と考えるのが最も合理的であるとしている。

鈴鹿鑑定は被告人車両の走行速度について実測をしていない点でなお十全とはいえないが、被告人車両が左折進行した南北道路の踏切以北は、本件事故後に進入禁止と定められたため実験することができなかつたというのであるから、それもやむをえないのであつて、その他とくにその証明力を減殺すべき事情は見出しえないから、鈴鹿鑑定は全体として、原審における証拠に比して信頼性はより高いとみることができる。

(2)  そこで、鈴鹿鑑定が前提とする両車両の速度比率すなわち本件自転車一対被告人車両1.5によつて両車両の位置関係を算出すると、同鑑定書添付の図面No.3に図示されたとおりである。すなわち、本件自転車は、被告人車両が前記③にあつたときは被告人車両の左前輪部の左後ろ付近、被告人車両が②にあつたときは左前輪部の左側付近、被告人車両が①から発進した時点では左前・後輪のほぼ中間部の左側付近にあつたとみられる。これらの結果を、和田兌作成の不可視範囲調査報告書に照らすと、本件自転車は右のいずれの場合にも被告人車両の左側死角内にあつて、運転席から通常の姿勢でこれを視認することは不可能であつたと認められる。

(3)  もつとも、鈴鹿鑑定人の実測結果報告書によれば、実測の対象となつた自転車の大部分は歩道上から踏切内に入つて速度が低下しており、とくに幼児を乗せた自転車の平均時速は、歩道上9.47メートルに対して踏切内6.77キロメートルとなつている。したがつて、本件自転車の場合も、踏切内は約七キロメートル毎時であつても歩道上の速度はこれより右と同程度の比率で高く、約一〇キロメートル毎時であつた蓋然性がきわめて大きい。そこで、本件自転車の速度を歩道上一〇キロメートル毎時、踏切内七キロメートル毎時として、右鈴鹿鑑定の計算方法に準じて両車両の位置関係を算出すると、被告人車両が④、③、②の場合の本件自転車の位置は、前記とほぼ同様であるが、①の場合は右の図示の位置よりも左方(西方)に移り、被告人車両の後端部の左側付近、すなわち死角の外にあつたことが明らかである。

(4)  ところで、被告人は、ほどなく前車に追尾して①を発進し、直ちに踏切を横断して左折進行する意思であつたところ、踏切は幅員約一三メートルで歩車道の区別がなく、そのすぐ手前には電車の警報機の台座があつて、被告人車両の左側を並進する自転車等がある場合には、いきおいそれらが自車に接近して運転席からの死角に入り、自車が左折するに伴つてこれと接触するおそれが多分にあり、このことは被告人において、従前から本件道路を通行して、踏切上を足踏式自転車が通過するのを目撃したその経験に徴しても一分に予見しえたものと認められる。

このような場合、被告人としては、本件交差点の三〇メートル手前から左折の合図をするとともに、一時停止中からつとめて、おそくとも発進直前には、後写鏡により左側歩道上を後方から進行してくる自転車等の有無・動静を注視しそれらが自車の死角内に入る前にこれを把握したうえ、これとの関係で進路の安全を確保しながら進行し、もつて接触・衝突等を未然に防止すべき業務上の注意義務があるといわなければならない。

原判決が、停止線で一時停止中ならびに発進時の被告人の注意義務として判示したところは、右の同趣旨に理解できるのであつて、正当というべきである。

(三)  所論は、被告人車両が①に停止中に本件自転車を発見することが可能であるとしているのは原判決の事実誤認である、という。

しかし、司法警察員作成の昭和五三年一〇月一二日付写真撮影報告書添付写真によると、①で停止中の被告人車両の運転席から左サイドミラーにより左後方の歩道上を見ると、車道沿いの電柱によつてやや視線を妨げられるものの、右電柱より後方の八幡神社の石塀前あたりまで視認することができ、しかも、歩道上の物体が静止しているときよりも動く状態にあるほうがよりいつそう視認し易いことが認められる。当審において本件自転車と同型の自転車を用いて①にある被告人車両の運転席に坐つて左サイドミラーによる視認状況を検証した結果、踏切直前の停止線から後方(西方)15.8メートルの左(北)側歩道上の当審検証調書添付の見取図B地点通過後、右停止線から1.7メートル後方(西方)の同歩道上の右見取図F点までの間(14.1メートル)は進行して来る自転車を視認できることが判明した。右見取図のB、F間(14.1メートル)を本件自転車が通過するに要した時間は、時速七キロメートルとして約7.26秒、時速一〇キロメートルとして約5.07秒の計算となる。

右の事実に、前記(二)の(2)(3)で認定した被告人車両の①発進時点における本件自転車の位置を合せ考えると、自転車の時速約七キロメートルの場合は被告人車両発進の約7.26秒前から約0.6秒前までの間、同じく約一〇キロメートルの場合は被告人車両発進の約5.07秒前から発進直後までの間、それぞれ後写鏡によつて左後方の歩道上に本件自転車を視認できたことが明らかである。

(四)  なお、所論は、被告人において原判示のように被告人車両の左前部を中心にかなりの範囲にわたり死角のあることを承知していなかつたのに、原判決が被告人の右死角の存在についての認識を前提にして被告人の注意義務を設定しているのは不当である、というが、被告人は、職業運転手として長らく本件の車両を運転してきたものであり、平素の運転経験等を通じ、運転席からみて左側に相当広範囲の死角があることを承知していたとみるのが相当である。

もとより死角の範囲について具体的かつ正確な知識はなかつたとしても、たとえば本件の踏切を通過するに際しては、その手前に信号機の台座があり、踏切の幅員も狭いので、自車の運転席左側付近を並進して走行する自転車等は、かなり自車に接近し、死角内に入るであろう程度のことは十分に予想しえたといわねばならない。被告人は、当公判廷において、ガソリンスタンドにおける給油係の行動から被告人車両の左角あたり約七〇平方センチメートル程度の死角しか認識していなかつた旨供述するが、右の供述はたやすく信用することができない。

(五)  さらに、所論は被害者寺田まゆみの運行上の過失を問題にする。

しかし、被告人が①の発進と同時に左折の合図をしたがそれまでは合図をしなかつたことは、被告人の自認するところである。そして、被告人車両が発進する時点では、本件自転車は前記のとおり被告人車両の車体後端部の左側付近ないしそのやや東方を走行していたとみられるが、いずれにしても被告人車両の車体後面の左折の合図を見ることは不可能である(当審検証調書)。本件自転車は踏切手前で一時停止中の被告人車両の左後方から進行して来てこれに追いつく形となつたのであるが、道路交通法令上交差点の三〇メートル手前から点滅することに定められている左折の合図がなかつたのであるから、寺田まゆみとしては被告人車両も直進するものと思つていたふしがあり、この点についてあながち同女を非難することはできない。

また、所論は、寺田まゆみが左方に通行余地がないのに等しい場所に進入したことを指弾するが、司法警察員作成の昭和五三年一〇月五日付実況見分調書添付交通事故現場見取図及び同月一二日付写真撮影報告書によると、原料示のとおり踏切に進入する入口あたりの最も狭い遮断機台座のある箇所で約2.3メートル、他の箇所ではそれ以上の通行余地のあつたことが認められるから、所論は必ずしもあたらないというべきである。

寺田まゆみが踏切前に一時停止をしなかつたことは、所論の指摘するとおり、布施証言によつて認められ、これは道路交通法三三条本文に違反する。しかし、本来同条の踏切前一時停止は線路上を走行する電車等との衝突等を未然に防止するために義務づけられたものであつて、踏切を通過する際における車両相互間の優先順位を定めた趣旨を含むものではない。同女としては遮断機が降りておらず踏切内に進入しようとする被告人車両を見て電車との衝突はないものと思い一時停止しなかつたとみられる。

以上のとおりであるから、同女が踏切前で一時停止せず被告人車両に並行して踏切内に進入したことじたいは、本件における被告人の過失を否定する事由とはならない。

(六)  所論は、被告人は①で停止中一ないし二回左サイドミラー・アンダーミラーを見、①を発進するとき左折合図と同時に左サイドミラー・アンダーミラーを見、②で左サイドミラー・アンダーミラーを約一秒ないし二秒間見て、それぞれ左側方及び左後方における並進及び後続車両の有無を確認しているのに、これを排斥した原判決の誤認を主張する。

記録を調査すると、被告人は、当初から、司法警察員に対する供述調書において、渋滞している前車に注意を奪われて発進後自車が左に向きを変え始めたころようやく後写鏡を一瞥しただけである旨供述し、検察官に対する供述調書においても同旨の供述をしているのであり、これらの供述は具体的かつ自然で他の関係証拠とも符合しゆうに措信することができる。被告人は、原審公判廷において所論に添う弁明をしているが、従前の供述を変えるに至つた合理的な説明はなく、少なくとも①において所論のような確認方法を尽しておれば、本件自転車を容易に発見することができたことは、さきに認定したとおりであるから、にわかに信用できない。被告人としては、前車の動静に注意を集中し、前車の進行に伴い発進して急いで踏切を通過し左折しようとしたため、安全確認を怠つたとみるのが相当である。

(七)  以上に検討したところを総括すれば、原判決は、(イ)本件自転車の進行速度が常時約一〇キロメートル毎時であるとした点、(ロ)これに伴う両車両の位置関係、(ハ)被告人車両が②ないし③の位置にあつたときの本件自転車に対する視認の蓋然性の程度等の点において、当裁判所と認定を異にする。

しかし、原判決は、結論においては、「罪となるべき事実」の中で、被告人が適時に左折の合図をするとともに、①で一時停止をしているとき及び発進時には後写鏡により左後方の歩道上を視認して、自車の死角内に入つて並進するおそれのある自転車の有無及び動静に注意し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務を認め、被告人が右の注意義務を怠つた具体的な事実関係を認定しているのであり、右の注意義務及びその懈怠の事実は、当裁判所の認定と軌を一にし、かつ、関係証拠によつてゆうにこれを肯定することができる。

したがつて、原判決中前記((イ)ないし(ハ))のごとき当裁判所の認定と異る部分は、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認にあたるとはいえない。その他記録を子細に検討し、当裁判所における事実取調の結果を総合して考察しても、原判決の認定した過失の成立を妨げる事由を見出すことができない。それゆえ、弁護人の控訴趣意中事実誤認の論旨はけつきよく理由がない。

控訴趣意第三(法令の解釈適用の誤りの主張)について

論旨は、原判決には刑法二一一条の適用を誤り、その結果、被告人に右刑法により要求されていない業務上の注意義務を課した違法があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、すでに検討・判示した本件当時の道路の状況、交通の状態、被告人車両と本件自転車との位置関係等に、その他の関係証拠をも総合して考察すれば、被告人は前記(二)の(4)に判示した業務上の注意義務を怠り、よつて寺田まゆみら三名を死に致した事実が肯認され、これが刑法二一一条前段に該当することは明らかである。以下、所論にかんがみ分説する。

一所論は、原判決が後写鏡によつて自車左側を通行する自転車等の有無、動静に絶えず注意を払うことを要求しているのは運転者に対して不可能を強いるものである旨主張する。もとより運転者は通常の運転方法として、左方のみでなく、前方 右方にも注意を払うべきであるから、原判決のいう絶えず自車左側に注意を払うという表現はやや適切を欠くとしても、その趣旨は、左折する場合には左方に対してとくに入念に注意すべきことを意味しているものであることは自ら明らかである。とくに本件の場合には、一時停止後に再発進しかつ踏切を渡つて左折する場合であつたから、一時停止することなく進行してきてそのまま左折する場合に比較して、前方ならびに右方に対するよりも左後方に対して注意を傾ける度合が多く要求されるのは理の当然というべく、このことは前記(二)(4)に掲げた注意義務においても同様に考えられるのであつて、これが運転者にとつてさほど苛酷な負担を強いるものとは解されない。

二所論は、最高裁判所昭和四六年六月二五日第二小法廷判決(刑集二五巻四号六五五頁)を引用して、被告人車両が適切な準備態勢に入つていたのであるから、寺田まゆみにおいて事故回避義務が強く要請されるとし被告人の刑事責任を否定するが、右判例の事案は、大型貨物自動車を運転し時速約四〇キロメートルで直進中、交差点の手前約三五メートルないし六〇メートルで自車左側を並進中の自転車を追い抜き、交差点の手前約二九メートルで左折の合図をし、同交差点を左折進行しようとしたもので、特別の事情のないかぎり道路交通法三四条五項が適用ないし類推適用される場合であるところ、本件は交差点の手前約一〇メートルの踏切直前で一時停止中寺田まゆみが左後方の歩道上を自転車を運転、直進して来て被告人車両の左側方を並進するに至つたもので、しかも、被告人がはじめて左折合図をしたのは発進時、すなわち前記のように同女がすでにそれを視認できない位置に来ていた時点である。また、被告人車両の左前端部の方向指示器は、関係証拠、とくに当審の検証調書により認められるその大きさ、地上からの高さ、昼間の光度及び本件自転車のその際の走行状況等にかんがみれば、同女がこれを視認することは甚しく困難であつたと認められる。したがつて、被告人車両は具体的な状況に応じた適切な左折準備態勢をとつていなかつたのであるから、本件は右の判例とは事案を異にし、これと同一に論ずることができない。

三また、所論が引用する最高裁判所照和四五年三月三一日第三小法廷判決(刑集二四巻三号九二頁)の事案は、普通貨物自動車の運転者が、交差点の約三〇メートル手前から左折の合図をして徐行し、交差点の手前で赤信号によつて瞬時停止したのち信号が青になるや後写鏡を見て後続車両の有無を確視したうえ左折を開始したものである。しかし、本件においては、被告人車両は大型貨物自動車であつて死角の大きさに差異があること、踏切手前で約一〇秒ないし一五秒もの間停止していたのであるから、その間に被告人車両の左方に自転車等が入り込む可能性がより多いと考えられること、道路交通法所定の左折の合図をしておらず、発進時に後写鏡による後続車両の有無を確認していないことが認められるのであるから、右判例は本件に適切ではない。

以上に検討したとおりであるから、被告人に業務上過失の成立を認めた原判決には所論のような法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四(公訴権濫用の主張)について

論旨は要するに、本件においては、危険な死角を帯有する欠陥車を製造販売した自動車メーカーとそれを認可することにより自動者の構造装置に関する安全確保義務に違反した国こそが刑事責任を問われるべきであるのに、検察官はこれらの責任を免罪する意図のもとに、あえて運転者としての注意義務を尽くした被告人を起訴したもので、本件公訴提起は違法不当なものとして憲法一四条、三一条に違反し刑事訴訟法三三八条四号の規定により棄却されるべきであると主張する。

自動車ことに大型貨物自動車にはその車両の構造上かなり広範囲の死角が存在し、これがとくに交通頻繁な道路における安全運転上の支障を来していることは、所論のとおりである。この点にかんがみ、自動車メーカー、国など関係機関は、運転者にのみ過大な負担を課する結果とならないよう、死角の範囲の減少に努め、視界の改善のための方策を研究、実行すべきことはいうまでもない。

しかし、大型貨物自動車の運行は社会的経済的に必要不可欠の要請であり、現に広大な死角を有する大型貨物自動車が多数運転に供されている実情にある。道路交通法も、これら大型車については、その運転者の資格要件を厳重にし、より高度の知識と技能を要求し事故の生じないよう配慮しているのであり、かかる大型車を運転する者に対して当該車両に死角のあることを念頭において可能な限りの注意義務が要求されるのはむしろ当然である。そして、不幸にして人身事故が発生したときには、死角内に被害者があつて確認不能であつたかどうか等の点を含めて運転者の注意義務の懈怠の有無を検討しその刑事責任を論ずることになるのである。その場合、大型車に死角があることから直ちに被告人に過失責任がないとして、右の死角のある自動車を製造しまたこれを認可した自動車メーカーや国に当該事故に関する刑事責任を転嫁することはできないし、自動車メーカーや国の責任を追及しなければ運転車の過失責任が明らかとならないという関係にあるとはいえない。

検察官は、本件において捜査の結果、自動車メーカーなり国の責任とは別個に、被告人に左折合図及び左側に対する安全確認を怠つた過失があるとして公訴を提起したもので、所論のように自動車メーカーや国の刑責を免罪する意図のもとに起訴したことは認められない。その他本件公訴提起が公訴権の濫用であることを認めるに足りる証左はなく、所論の憲法の条規に違反する違憲なものとは解することができない。論旨は理由がない。

控訴趣意第五(量刑不当の主張)について

論旨は、かりに被告人に過失が存在したとしても原判決の量刑は著しく不当である、というのである。

そこで、記録を調査し当審における事実取調の結果をも加えて考察する。

本件事故は、被告人が前示のごとき過失により、たまたま自車の死角内を並進していた自転車を発見することができず、これを自車の車輪にまき込み、無残にも母親と二人の幼児を一瞬のうちに死に至らしめたものである。結果はきわめて重大であり、死者の無念さはもとよりのこと、被害者らの父であり夫である寺田大ら遺族の心情は察するに余りがあり、被告人の刑責は決して軽視することができない。

他方、足踏式自転車の後部荷台に幼児二名を乗せて操縦し、必ずしも平坦とはいえない鉄道踏切上を大型車と並進することは、その行為じたい、交通保安上の見地から、客観的にみてかなりの危険性を感ぜしめるものであることに、幼児二人の安全保護に責任をもつ母親としてその行動に慎重さを欠いた点のあることは、被告人に対する量刑上十分斟酌すべきである。

被告人は本件件当日早朝から大型車を運転して仕事に就き、当時帰宅途上であつたこと、これまでに交通反則の処分を受けた以外に前科がないこと、被害者の遺族に誠意を示し、当審において被害者の遺族との間に裁判上の和解が成立したこと、被告人の反省の情、家庭の状況等諸般の事情を総合検討するときは、現段階においては、被告人に対し禁錮一年六月の実刑を科した原判決の量刑は重きに過ぎ、禁錮刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実(ただし、原判決書二枚目表一〇行目の「及びこれに続く左折時」、一二行目の「絶えず」とあるのを削除する。)に原判決摘示の法条を適用し、該当処断刑期の範囲内で被告人を禁錮一年六月に処し、刑法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(岡村治信 林修 新矢悦二)

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